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私たちは中国(人)に何ができるか


1 中国で仕事をするということ(1)

このブログは、中国を想定したビジネスに関する雑感です。私が思うことを投稿します。そんなに目新しいことではありません。しかし、ビジネスの根底にかかることです。

中国は日本にくらべると、国土が広く、人口が多い国です。したがって大きなマーケットがあります。日本の企業は中国にビジネス・チャンスがあると考えます。日本より消費活動が遅れているので日本の商品を中国で売ればもうかるだろうとか、日本の技術は優れているので中国で作れば売れるだろうと思い、中国にお店を出したり、工場を出したりします。

しかし、私の知る範囲では、そんなにもうかっていません。なかには撤退する企業もあります。なぜでしょうか?

中国人が望むことをしていないからです。そもそもビジネスとは利他です。他を利する程度におうじて利益があります。中国の人が望むことをしない活動から利益をいただくことはできません。

1 中国で仕事をするということ(2)

こんな話を聞きました。
食品製造会社の社長です。中国・上海(の近く?)へ会社を出しました。しかし、結果的に撤退しました。社長は「撤退に5年を要した」と言いました。

社長は、たぶん、日本式の会社を作ったのでしょう。従業員に面倒見が良くて、しかし頑固だったでしょう。生産工程は衛生的でした。従業員にユニフォームを着ることを強制し、毎朝・毎夕の清掃をやらせ、出来上がった製品はしっかり検査し・・・・。しかし、ここに決定的な問題があったわけではありません。

撤退の最大の原因は売れなかったからです。日本の味が中国人に受け入れられなかったからです。爆発的に売れたのであれば、生産にともなう問題、従業員にかかる問題は起きなかったでしょう。
あるいは「運が悪かった」と言えるかもしれません。この会社の中国進出は日本食ブームが起きる前だったのです。

日本人経営者は「中国は難しい」と言います。たしかに難しいのですが、何が難しいのか、その原因を、経営的に、文化的に、明らかにする必要があります。

1 中国で仕事をするということ(3)

多くの識者は「政治と経済は別だ」と言います。日本と中国とのあいだの貿易や投資はどんどんやればいいが、政治は慎重に考えるべきだ、という意味です。
私はそうは思いません。政治は経済を反映して成り立つと考えます。すなわち、為政者は「どうやって国民を食わせるか」と考え、その考えにもとづいて手を打っているという考えです。政治と経済は、ゆるやかではありますが、結びついています。

日本と中国とのあいだの問題は「日本(人)はどうしたら有益な存在になることができるか」と考えなければ解決しません。すなわち、中国人が「日本人と手を結びたい」「日本人に来てほしい」と思うような状況を作る必要があります。

こんなに優秀で、やさしく、知的レベルの高い日本人が、いったん中国へ行くと、とたんに物取りになるのではなぜでしょうか? ひょっとすると、日本人の心の中に「日本のほうが進んでいる」というおごりがあるからではないでしょうか? あるいは「教えてやる」という目線があるからではないでしょうか? もし日本が進んでいると考える人がいるとすれば、それはマチガイです。もし教えてやると考える人がいるとすれば、それはマチガイです。その人たちは表面だけを見て、自分の中国観を作っています。

2 私の知っている中国人(1)

2012年9月11日(火)、私は北京のホテルで朝ごはんを食べながらテレビを見ていました。日本でいえばNHKの朝7時のニュースです。男女のアナウンサーは尖閣諸島(中国名:魚釣島)に関して、日本政府の対応を批判していました。私は中国語を理解できませんが、その口調から、批判していることは容易にわかります。

ニュースの後半、日本の、たぶん、銀座だと思いますが、通りをゆく二人の日本人へのインタビューの映像が出ました。二人の話は日本語で流れました。中国語の字幕がでました。日本語だったので私ははっきりと聞きとることができました。二人とも「話し合いで解決してほしい」と言いました。

会社へ出勤しました。私の仕事は経営コンサルタントです。午前中、工場の改善にかんする意見を述べ、お昼ご飯は事務所の女性といっしょに食べました。食事をしながら一人の女性と次の会話をしました。
  女性:中国と日本の関係が良くありません
  左近:そうですね
  女性:戦争になりますかね
  左近:まさか
  女性:私たち日系企業に勤めている者はどうなりますか
  左近:何もありません。やがて解決するでしょう

この女性も「話し合いで解決してほしい」と願っています。朝のテレビに映った二人の日本人と同じ考えでした。
 

2 私の知っている中国人(2)

前回、「日本人も中国人も話し合いで解決してほしいと願っている」と言いました。しかし、現実は、日本政府と中国政府は話し合いません。

なぜ、首脳が話し合わないのでしょうか?
日本の多くの国民、中国の多くの国民が、お互いに、「尖閣諸島(魚釣島)は我が国の領土だ。政府は弱腰になってはいけない」と思っているからです。国民がこんなふうに思っていたのでは、首脳は合うことができません。

私は尖閣諸島(魚釣島)の問題の解決は下記のいずれかによるだろうと思います。
    (1)戦争をする
    (2)所属を決めない。お互いが資源を共同で活用する

2 私の知っている中国人(3)

1972年、田中角栄首相と周恩来総理とのあいだで「日中国交正常化」がなされました。そのときの二人は、尖閣諸島(魚釣島)に関し、前回、私が言った(2)を想定したと思います。だからこそ、田中首相の「尖閣諸島(魚釣島)はどうしますか?」という質問にたいし、周総理は「このままで・・・」と答えたのでしょう。周総理が「戦争で決着をつけよう」と思ったとは考えられません。ただし、二人の会話は、資料によって微妙に異なるようです。興味のある方は原文にあたってください(国立国会図書館へいってください)。

この問題はこれ以上踏み込むことは避けます。

私が言いたいことは、政府は、私たちが思う以上に、国民の意図に影響されて行動している、ということです。日本と中国のあいだの問題は、実は、私たち一人一人の問題なのかもしれません。私たちにできることを地道にやることが両国の幸せに寄与すると思います。そんな思いで、この先、このブログを書きたいと思います。

2 私の知っている中国人(4)

夕方、その会社に勤める若い男女とお酒を飲みました。

一人の若者(20歳代後半)が次のような話しをしました。
「自分の上に2人の姉がいる。私が最初の男の子であった。だから、私が戸籍に入った」と。

中国は多くの民族からなる国家です。実質的にはその95%を漢民族が占めるのですが、漢民族にたいし、国家は一人っ子政策をとっています。一人の父親と一人の母親から一人の子供しか産んではいけないのです。もし、二人または二人以上生んだ場合、両親は国家にたいし高額の罰金を支払わなければいけません。一人っ子政策のロジックから「中国の人口は減少している」と言われます。しかし、私は増えていると思います。

その理由は、上記の若者のような発言を聞くからですが、それ以上に、私、マルサス「人口論」を信じるから、です。マルサスは「食糧が増える程度にしか人口は増えない」と言います。中国は食べ物があふれています。おなかいっぱい食べることができます。こんなに食べ物がいっぱいあるところで人口が減っている訳がありません。

2 私の知っている中国人(5)

前回、「食べ物があふれている」と言いました。それは事実です。中国へいくと体重が増えます。今回は食事について書きます。ブログの趣旨からの脱線をお許しください。

中国は日本より男女平等です。日本の家庭では、女性が育児をし、食事を作ることが多いのですが、中国では、その傾向がないわけではありませんが、女性も働いているため、二人が外食します。夏は道路脇に屋台がずらっと並びます。冬はさすがにお店のなかで食べます。

私も中国人につれられてそのようなお店で食べます。「中国の食事はおいしくない」という日本人がいます。その意見にすこし同意しますが、私はテーブルにならんだものは食べます。「慣れ」です。もともと意地汚いのでしょう。しかし、全部をたべることはできません。せいぜい、半分です。半分は残ります。

知人(中国人)から「食べきれないほど食卓に出すことが中国の礼儀だ」と聞きました。そういえば、日本の田舎でも、昔、お客さんが来ると、食べ物をいっぱい出して、「もっと食べなさい」と勧めました。お客は「いやいや。もうダメ」と必死にことわります。それが接待だったのです。そんな心温かい風習が中国に残っているのだと思います。

2 私の知っている中国人(6)

ある会社の事務所で、机の上においた女性事務員の携帯電話(そのときは、スマートフォンではなく、携帯電話)が床にすべりおちました。周りの人たちは「あ。たいへん」と言いました。女性は「大丈夫。メイド・イン・ジャパンだから」と答えました。

中国人はメイド・イン・ジャッパンの製品にあこがれます。品質のいい製品であることを知っています。

それだけではありません。日本という国にたいしあこがれがあります。日本は美しい国であり、やさしい人がたくさんいて、おいしい食べ物があります。少なからぬ男性は日本人の女性と結婚したいし、女性は日本人の男性と結婚したいと思っています。そして日本で生活したいと思っています。

日本人にだって異国へのあこがれはあります。たとえば、「おフランス」はあこがれです。フランス料理は高級料理の代名詞です。しかし、日本人のフランスへのあこがれと、中国人の日本へのあこがれには違います。日本人がフランスにあこがれる感覚は、単なる、お遊びです。本気でフランスに住みたいと思う人は少ないでしょう。しかし、中国人は、現実として、日本へ移住したいと思っています。

2 私の知っている中国人(7)

ここで模倣に関する私の考えを述べます。中国人は模倣をすると日本で報道される問題です。

結論を先にいいます。
中国(人)は模倣をやめたほうが幸せになります。模倣から幸せは生まれません。多くの場合、模倣は損失につながります。

恥ずかしいことですが、私の父の事業をお話しします。
私が中学生であったころ、父は、透明なガラス玉を銀色に塗装し、真珠にみせた製品を作っていました。それは、子供の私でも品質の悪い製品であることがわかりました。成功することなく、その事業を止めました。多くの損失がでたと思います。ずっとあとになって、父の死のまえ、私は「どうしてニセ真珠を作ったの?」と質問しました。父は「あれは騙されたんだ」と言いました。しかし、経緯がどうであれ、父が作ったことは事実であり、それによって損失したことも事実です。

中国には、「儲け話」が飛び交っていて、そのなかに「アメリカ(あるいは日本)ではこれが流行っている」とささやく者がいるのかもしれません。それを真にうけて作る者がいるのでしょう。しかし模倣品が成功することはありません。

3 儒教とビジネスの対立(1)

現代の中国をみても中国の真実を理解することはできません。中国の歴史を勉強しましょう。まず、孔子です。

孔子は、論語のなかで、弟子(樊遅。はんち)の質問に答えて、次のように言っています。
   樊遅:先生、農業は大事です。田の耕し方を教えてください。
   孔子:お百姓さんに聞きなさい。
   樊遅:畑の作り方を教えてください
   孔子:畑作人に聞きなさい。
      (樊遅は、孔子が教えてくれないので、外に出た)
   孔子:樊遅はダメだな・・・。
      上に立つ者が礼を好めば、下のものはそれに従う。上に立つ者に義が
      あれば、下のものは服従する。上に立つ者が誠意を尽くせば下のものは
      言い訳をしなくなる。どうして上に立つ者が農業の技術など必要であろう
      か。

上記における孔子の最後の言葉は、私、ちょっと、簡略化して表記しました。興味のある方は論語・子路編(その4)を見てください。要するに、孔子は農業などの実務を軽視したフシがあります。礼という道徳が第一であって、道徳ができれば実務は付いてくると考えたようです。この孔子の考えが中国の歴史に影響を与えました。

3 儒教とビジネスの対立(2)

ちょっと遠回りですが、中国という国の経済を、歴史的に、そのありようを説明します。

中国の国土には二つの大きな川(河)が地図の左から右へ流れています。上の方が黄河です。下が揚子江です。縦に、運河が通っています。運河は、ざっくり言うと、南京(揚子江)と北京(中国の首都。黄河のちょっと上)を結んでいます。この運河は随帝国が作りはじめ、その後、いくつかの運河ができました。

中国はやや横に広い四角形をしています。その右上に愛輝という町があります。四角形の下辺の中点あたりに騰衛という都市があります。この二つを直線で結びます。架空の直線です。実際に道路があるわけではありません。右側の三角形と、左側の台形にわかれます。右部分に、面積36%・人口96%あり、左部分は面積64%・人口4%になるそうです。右部分にだけ平野があります。左部分は山岳地帯です。

中国の「人」を説明するとき、このことはあまり問題になりません。中国という国家を説明するとき、上のことを思い出していただけるとわかりやすいことがあるかも知れません。

3 儒教とビジネスの対立(3)

中国は、北方から攻めてきて建国した元・清を例外とし、それ以外のすべての王朝が北の敵を防ぐ必要に迫られました。秦の始皇帝は万里の長城を作りましたが、彼だけではなく、歴代の王朝はずっと万里の長城を改修し、補強し、維持しました。外敵を防ぐための障壁です。ここに中国の各地から集められた人間が兵士として過ごしました。

この体制を維持するため兵士へ食べ物と武器を供給する必要があります。ここでは食べ物だけお話します。食べ物とは、水、米・麦、塩です。水を除き、米・麦が採れるのは揚子江が黄海に流れ込むあたりです。現在の上海市・淅江省・安徽省・江蘇省です。ここから万里の長城まで運ぶ必要があります。塩は黄海沿岸で採れます。特に、中国の南の海岸です。それらを、遠路、運ぶ必要がありました。

中国の長い歴史をとおして食べ物の運搬(=兵站)は最重要な課題でした。中国2500年の歴史をとおした制約条件でした。

3 儒教とビジネスの対立(4)

あらためて、工業と商業にわけて中国のビジネスを説明します。
工業です。
工業は鉄と鋼に基礎をおきます。人類の歴史では、多くの場合、まず鉄を作り、次いで鋼を作りました(唯一の例外は日本刀の生産です。刀鍛冶は最初から鋼を作りました。現在でも工業化できません)。最初は鉄を材料にして、次いで鋼を材料にして、武器および生産機械を作ったわけです。

鉄鋼は次のようにして作ります。耐火れんがで円筒を作ります。それを立てます。筒の下で石炭を燃やします。鉄の成分を含む石(鉄鉱石)を上から入れます。鉄鉱石のなかの鉄が溶けだします。それを筒の横穴から取り出します。鉄ができます。鉄はかたいのですが、もろいです(衝撃に弱いのです)。改良する必要があります。
かたくて、かつ、しなやかなものに改良した材料を鋼といいます。鋼を作るには、現代風にいうと炭素元素などを調整するのですが、高熱が必要です。高熱を作りだすため、酸素をいっぱい入れ込み、熱します。その道具はフイゴといわれます。いまでも陶磁器をつくる窯元へいくと見ることができます。原理はいたって簡単ですが、その着想にはただただ「脱帽」です。

さて、西洋では上記技術は産業革命(17世紀)を待たなければいけませんが、中国では9世紀にできていました。その生産量は下記であったという記録があります(マクニール著高橋均訳「戦争の世界史」刀水書房 p.44)。
    806年    1万3000トン
    998年    3万2500トン
   1064年    9万0400トン
   1078年   12万6500トン

中国の製鉄業がこのあとも続けば、たぶん西洋を寄せ付けなかったでしょう。しかし、儒教を信奉する官僚によって、結果的に、工業の成長は邪魔されたようです。

3 儒教とビジネスの対立(5)

商業を、明清時代の徽州商人(きしゅう・しょうにん)を例にして、説明します。

そもそも、中国の商人には、下記3種類があります。
   坐賈(ざこ):
    きまった場所に店舗をかまえて営業する問屋・小売業
   客商(きゃくしょう):
    ある土地で商品を買い集め、他の土地に運搬して売りさばく商人
   牙行(がこう):
    生産者・坐賈・客商のあいだに立って、取引の仲介や仲買を行う
徽州商人とは、揚子江河口近く(現・安徽省)を出身地とする、客商です。この地は、肥沃で農業が盛んではあるのですが、人口が多いため、自給自足は無理で、そのため、外へ出る必要があったようです。

彼らは、まず地元の穀物を取り扱いました。さらに政府から塩の専売業者に認定されました。彼らは揚子江をさかのぼって中国奥地へ運び、運河を使って北京を経由し万里の長城をまもる屯田兵に供給しました。
彼らがあつかった商品は、主に、下記です(中島楽章「徽州商人と明清中国」山川出版社 p.10)。もちろん、時代によって異なるし、供給先によって異なります。下記は最小公倍数といったところです。
   塩・茶・木材・鉄・食糧

私は知人(中国人)から「左近さん。緑茶は好きですか?」と聞かれ、「ええ。好きです」と答えました。すると、彼は「これ、私の故郷で採れる緑茶です」といい、茶葉をいただきました。彼は南京の近くに故郷があります。歴史をとおして揚子江の河口にちかいところ(南京は揚子江に近い)は穀物などが豊かです。農家は生活が豊かです。

3 儒教とビジネスの対立(6)

西暦136年、漢王朝にあって、儒教は国教になりました。それは、20世紀、清帝国の末期、ようやく批判されるにいたるのですが、1800年間、支配層(=官僚)の思想でした。儒教を勉強して試験を受け、儒教による儀式を踏襲し、儒教によって上下の関係を維持しました。

孔子が実務を軽視したフシがあることはすでに述べました。官僚たちも、場所Aにおいて100元で仕入れ、何ら付加価値なく場所Bにおいて150元で売り、50元の利益を得るなど、とんでもない恥知らずの行為であると考えました。ましてや、莫大な利益を得て、贅沢な邸宅にすみ、大勢の人間を支配し、ときに武器をもって政府に反抗する商人は許しがたい存在でした。明らかに孔子の教えに反すると考えました。官僚は、宋、明、清の時代を通して、彼らの思想のゆるす範囲にビジネスを統制しました。

しかし、ビジネスを行う側に目をおくと、事態は違います。商工業者はリスクを抱えていました。マクニール著高橋均訳「戦争の世界史」刀水書房 p.51から引用します。ちょっと長いのですが、おゆるしください。
「商工業にたずさわる大規模企業は、かつてその急成長を可能にしたのとまさに同じ理由によって、突然の衰退にもまたみまわれやすかった。首都との交通通信が断たれたり、官の鉄鋼製品への需要が衰えたりしたならば、(中略)何らかのそのような状況変化が起こって、12世紀に開封を中心とする経済圏において鉄鋼生産の成長が停まったことは確実である」

このような事態を何度も経験することによって商工業者は政府を信頼することができなくなります。商工業者と政府官僚とのかい離は水面下で進んで行きました。そのかい離を白日のもとに示した事件が起きました。アヘン戦争です。

4 アヘン戦争とは何だったのか

アヘンはケシの実から作られます。痛み止めの薬となる一方、常用すれば中毒症状を引き起こし、肉体と精神を蝕む、恐ろしい麻薬です。

イギリスは、中国に対し、綿花・繊維製品を売り、茶・生糸を仕入れました。しかし、この貿易、ずっとイギリスの赤字でした。
イギリスは赤字を解消する手段として、インドでアヘンをつくり、中国へ輸出しました。アヘンの恐ろしさを知っていたにもかかわらず、です。
なお、実際のビジネスを行ったのは東インド会社でありジャーディン・マセソン商会ですが、イギリス政府が関与しているので、ここではイギリスと称します。

中国はどのように対応したでしょうか? アヘンを輸入禁止にしました。清帝国は林則徐を責任者に命じ、禁輸を実行させました。林則徐は、1839年、アヘンを没収する挙にでました。イギリスは武力を行使します。二度のアヘン戦争の結果、南京条約によって、清は香港をイギリスに与える(長期貸与する)など大きな譲歩をします。それから150年が経ち、1997年、イギリスによる香港の統治が終わります。香港は中国政府に返されました。

4 アヘン戦争とは何だったのか(2)

アヘン戦争は儒教が決定的に敗北した事件でした。そして、中国2500年の総括的な事件でした。

中国政府はアヘン輸入を禁止しました。しからば、中国にアヘンが入ってくるハズはありません。しかし、現実に中国の港から国内へアヘンが入ってきました。誰が仲介しているのでしょうか?
中国政府に許可された商人は取り扱いません。しかし、正式に承認はされていないが、実際には貿易をする中国人がいて、彼らが取り扱いました。正式な承認とその承認された商人が貿易を行う制度が、清朝の末、破たんしていたのです。

というか、私は、商人は政府を信頼していなかったし、商人は自らのリスクをヘッジするため、および利益を追究ため、もはや道徳とはかけ離れた領域に入り込んだものと推察します。商人は、悪いとわかっていながら、規則を守る余裕がなかったのです。もう少し突っ込んだ表現をすると、商人にとって、他人の健康などどうでもよくて、自分のリスク・ヘッジと利益追究が重要だと考えたのではないでしょうか。

2500年の歴史を経て商工業者は政府の統制に従う意識は消えてしまいました。この風潮は、商工業者だけではなく、多くの中国人共通の意識になっていったのではないでしょうか。

4 アヘン戦争とは何だったのか(3)

アヘン戦争に関することではありませんが、中国2500年の総括という意味で、もうひとつお話します。現代にまで綿々とつづくビジネスの方式です。

商品Xに関する商談が始まりました。多くの場合、中国では売る側Aと買う側Bのトップが意気投合してビジネスがスタートします。実務は売る側Aの営業員と買う側Bの購買員とのあいだで行われます。商品Xの価格が100元であると仮定します。次のような会話が交わされます。
    購買員:それじゃ、10元にしよう。いいね?
    営業員:わかった。
    購買員:100元は御社の口座へ振り込む。10元はあなたの個人口座へ振り
        込む。
    営業員:私もちょっとほしい。
    購買員:うん。それじゃ、8元を私の口座へもどすことで良いか?
    営業員:わかった。
営業員は、商品の納品とともに、会社Aとして110円の請求書を出し、購買員は会社Bとして110円で決済します。100円を会社Aの口座へ振り込み、10円を営業員の個人口座へ振り込みます。そして、8円を購買員の口座へ振り込ませます。これは中国のビジネスの方式です。日本人の潔癖症からみると「わいろ」に見えますが、中国人は自分の身は自分で守るし、親戚が困っている時は全財産を投げ出しても支援します。そのために蓄財が必要です。蓄財のため「余得」が必要です。

4 アヘン戦争とは何だったのか(4)

今回もアヘン戦争のことではありません。前回の稿を書いたとき、ふっと、高校生のころ読んだ魯迅(ろじん。日本で医学をおさめたあと、中国で小説を書いた)の小説を思い出しました。余計なことではありますが、書きます。

次のような描写が出てきます。
主人(魯迅)が故郷の家を引き払います。家・土地を売り、家財道具を売り払います。すべてを処理したあとです。使用人が主人にあいさつにきます。「長い間、お世話になりました」「こちらこそ、ありがとう」と。使用人は去ります。そのとき、主人に黙って、かまどの灰を持ち帰ります。主人はわかっていました。しかし、黙って、見送ります。

かまどの灰は売ることができて、それによっていくらかのお金を得ることが出来るのでしょう。なぜ、魯迅がこんなことを書いたのか、小説を読んだとき、疑問に思いました。
魯迅は中国の「余得」は改善するべき習慣であると言いたかったのです。魯迅は、もちろん、前回私が書いたビジネスの「余得」を知っていたでしょう。そして、ダメな習慣だ、直さなくてはいけないと思っていたのでしょう。

中国人はそれを改めるべき習慣であることを知っています。しかし、政府は信頼できません。自分の身は自分で守るしか、ないのです。

5 環境問題を考える(1)

飛行機が北京空港に近づきます。下の大地に広大な畑が見えます。その風景は北海道・帯広空港に似ています。しかし、帯広の緑と北京の緑は、ちょっと、色が違います。帯広はあざやかです。北京はくすんでいます。

飛行機が北京空港へ降ります。入国手続きをします。電車に乗ります(初めて電車にのったとき、「どこで降りたら良いのだろうか」不安になりました。そんな心配は不要であって、一駅だけです)。空港の出口をでます。いよいよ中国です。街へ出ます。瞬間、私、空気が「汚い」と感じました。

天気の良い日は視界が悪いです。雨が降ったあとの北京の街は視界が広がります。「向こうに山が見える」とびっくりします。
北京の郊外でみる樹木は北海道と同じ針葉樹です。樹木のうえに鳥が巣を作っています。私にはなつかしく見えました。ちなみに、北京の緯度は40度です。秋田とか盛岡と同じです。北海道より南になります。

5 環境問題を考える(2)

日本人と中国人とのあいだで環境にたいする対応に違いが鮮明になります。
私は、中国人は歴史的に商業をなりわいとした民族であり、日本人はものづくりによって生きてきた民族であると考えます。ある地点で商品を買い入れ、他の地点に運び、その地点で売りさばく商業において身の回りの汚れは気にならないでしょう。それにくらべ、ものづくりにおいて、その原料の品質が重要になりますし、その保管が課題になるし、仕事場の整理整頓は効率に影響します。感覚的に違うのだと思います。

中国の会社・工場のなかにゴミが落ちています。清掃員がいます。毎日、定時に清掃します。しかし、その清掃の仕方にしても、モップをバケツの水にドボンとつけて、床を拭くのですが、汚れを拭き取るというより、床にモップを押し付けているだけのように見えます。清掃員が清掃したあと、床に水がはっています。

道路の脇に芝生が植えられています。どこかの「工場」で育った芝生でしょう、30cm角に切られたブロックが並べられているのですが、それがぞんざいに置かれています。私は30cm角の芝生のかたまりの列を見て、「丁寧にならべたらいいのに・・・」と思います。

中国人はゴミをゴミ箱へ捨てる習慣がないように見えます。そのような教育をされていないのでしょう。この領域は、日本(人)が中国(人)に貢献できる可能性があると思います。たとえば、下記が考えられます。
   対象者   12歳前後の少年・少女。ひと組5人
   教育内容  ゴミをゴミ箱へ捨てる
   所要時間  15分

5 環境問題を考える(3)

今回は環境ではありませんが、前回、「中国人は商業に、日本人はものづくりに向いている」と書きました。このことをもう少し詳しく書きます。

このブログの前のほうで、中国・南京の近くにすむ知人から茶葉をいただいたと言いました。皆さんもご存知のように、茶は中国から西アジア、西洋に伝わり、日本に伝わりました。茶chaが英語のteaになり、日本語ではそのまま茶になりました。

中国では茶碗に茶葉を入れ、それに熱湯をそそぎ、いただきます。茶碗に唇をつけ、茶葉を上唇でおさえながら、湯を啜ります。湯は熱いです。上唇は熱湯に耐えることができません。お茶を飲むのは難しいです。
日本では、いったん茶漉し器に茶葉をいれ、茶漉し器のうえから熱湯を注ぎます。茶漉し器の下においた茶碗に熱い緑茶が入ります。最近の回転すし屋では茶葉を粉末にしてあります。粉末(茶葉)を茶碗に入れ、そのうえで茶碗に熱湯を注ぎます。湯は熱いですが、日本では容易に緑茶をすすることができます。

なぜ中国において日本のように容易に茶を飲むことができるように工夫しないのか、疑問です。でも、そもそも工夫っていうことは、ものづくりの領域の活動であって、商業をなりわいとする民族には考え付かないことなのかな・・・と思います。

ここで書いたことは庶民の喫茶に関することです。中国の高級な場で喫茶するとき、別の方法があります。日本にも中国風に飲むことができる喫茶店があります。しかし、これも、私にとって、面倒です。これ以上、細かいことに入り込むことは避けます。

5 環境問題を考える(4)

古都として有名な都市へ行きました。明・清時代の商店街があります。朝、ホテルを抜け出し、街を散策しました。しばらく歩き、角を曲がると、そこで朝市が行われていました。多くの露店が並び、野菜、肉を求める人が群がっていました。活気を感じます。日本の観光ガイドブックに紹介されている光景でした。

しかし、街全体が臭いです。下水道が完備されていないためでしょう、生活排水が道路に流れ出ます。

政府は下水道工事を行っているのでしょうが、それが遅れているのか、あるいは機能していないものと思われます。土木工事の領域で日本が貢献できると思います。ヨーロッパの都市における下水道もすばらしいですが、日本の技術はヒケをとりません。日本の都市で「臭い」など感じたことがありません。

下水道工事は中国政府が統括する事業です。日本(人)が簡単にアクセスできないでしょうか・・・。もし政府との手続きができるのであれば、各家庭、各商店、各工場から下水をあつめ、貯水・浄水し、河を経由して海に流すシステムを作ることができるでしょう。

5 環境問題を考える(5)

中国の大気は汚れています。日本のテレビでは北京をあるく多くの女性がマスクをしていますが、実際にはマスクをしている人の姿はまばらです。しかし、PN2.5を含む大気汚染の問題は深刻です。朝、ホテルの窓から外をみると、視界が数キロメートルということも、頻繁にあります。「ああ。この大気のなかへ出るのか・・」と気持ちが落ち込みます。

私は、日本人が過去におこなった環境保全活動では、中国の大気汚染問題は解決できないと思います。工場プラントそのものを取り替えなければいけないでしょう。まるごと大気汚染物質のでない工場設備にしなければいけません。膨大なお金がかかりますが、中国人には「維持」「改善」という感覚がないのですから、過去に日本人が行った方法「従来の機械を維持しながら、改善していく」では歯がたたないでしょう。

この分野で協力することは可能です。幸い、日本には、機械工学科を卒業したから機械の領域しかやらないという技術者はいません。機械の領域にとどまらず、化学であれ、生物であれ、他領域と連携して設備を設計する能力があります。

6 私たちが貢献できること(1)

私たちは、普通の日本人として、中国(人)にいくつかの貢献ができると考えます。私たちはNPO中小企業経営支援協会( http://www.npo-mi.org )として日本の中小企業の経営支援をしています。関東を中心にして中部東海、関西をふくめて多くの仲間がいます。多くの専門分野を網羅します。

中国の人にたいし貢献するため、どのような具体的手順を踏めば可能なのか、ご存知の方は教えてくださると嬉しいです( sakon@npo-mi.org )。

私たちに可能であるという意味を説明します。
私たちの仲間は、全員、仕事を持っています。成果をあげ定年を迎えた者もいます。いずれも、その分野で、日夜、仕事に励んでいます(いました)。営業の分野にいるもの、技術の分野にいるもの、金融の分野にいるもの、物流の分野にいるものなどです。経験と技術を蓄積しています。しかも実践的です。これらの経験と技術は有益です。
 そのなかの多くのものは中小企業診断士という資格を持っています。理論を習得したものであり、日本国家から認定されています。経験と理論を兼ね備えています。

6 私たちが貢献できること(2)

このあと、どんなことができるか、具体的に例をあげて、説明します。

モノづくりに貢献することができます。
モノづくりとは「形+質」です。質のなかにはデザインとか、使い勝手とか、耐久性などが含まれます。ともすると、モノ=形と思われがちですが、それは違います。形だけ出来ても製品とは言いません。形に質を織り込む工程を設計し、工程で質を織り込んだモノが製品になります。

中国の製品と日本のそれとの決定的な違いは、そのなかに質が織り込まれているか否か、です。その製品を買う時、外見だけではわかりません。長期間、使ってみると、「ああ。やっぱり、メイド・イン・ジャパンはいい」とわかります。
広大な中国といえども、資源は限りがあります。購入した製品・商品を、消費者が「あ、これはいいわ」といって、長い年月使用したほうがいいのではないでしょうか。

6 私たちが貢献できること(3)

前回は抽象的な話をしました。

モノづくりの基本は、品質を向上し、生産期間(時間)を短くし、もって低い原価で生産することです。
まず、品質です。
品質が製品に織り込まれていない(=不良がおおい)ことは原価にとってマイナスです。投入した原材料のすべてが製品に転嫁されることが理想です。このために原材料の入荷から製品の出荷までの全工程にわたって品質を管理する必要があります。
次に生産期間(時間)です。
一つの製品をつくるにあたり、例えば、60分を要するより、30分のほうが良いです。8時間(=640分)の勤務時間中に、前者は8個できますが、後者は16個出来上がります。
最後に原価です。
原価costが高い場合、商品の価格priceを設定する範囲が狭まります。ギリギリの範囲で競争せざるをえません。競合する商品に負ける可能性があります。低い原価を実現する必要があります。

このような意味でモノづくりに貢献することができます。

6 私たちが貢献できること(4)

古都として有名な都市へ行きました。明・清時代の商店街があります。朝、ホテルを抜け出し、街を散策しました。しばらく歩き、角を曲がると、そこで朝市が行われていました。多くの露店が並び、野菜、肉を求める人が群がっていました。活気を感じます。日本の観光ガイドブックに紹介されている光景でした。

しかし、街全体が臭いです。下水道が完備されていないためでしょう、生活排水が道路に流れ出ます。

政府は下水道工事を行っているのでしょうが、それが遅れているのか、あるいは機能していないものと思われます。土木工事の領域で日本が貢献できると思います。ヨーロッパの都市における下水道もすばらしいですが、日本の技術はヒケをとりません。日本の都市で「臭い」など感じたことがありません。

下水道工事は中国政府が統括する事業です。日本(人)が簡単にアクセスできないでしょうか・・・。もし政府との手続きができるのであれば、各家庭、各商店、各工場から下水をあつめ、貯水・浄水し、河を経由して海に流すシステムを作ることができるでしょう。

6 私たちが貢献できること(5)

日本の企業が中国で成功しない一つの要因に中国人に権限を与えないことがあります。中国人を信用しないわけではないのですが、日本人は身体を動かすことが好きなため、何から何まで自分で先走りしてやってしまうのです。

中国人はしっかり実行し実績をあげます。しかし、このブログの歴史のところで書きましたが、中国社会の「余得」を理解することができないため、ビジネスと道徳の区別をせず、口を出し、手を出します。ここが日本企業の弱いところです。中国人が大人であることを知らないのです。

私は、日系企業が「職務分掌規定」とか「責任権限規定」を作り、中国人が管理職に就く前、両者は契約する必要があると思います。むしろ日系企業のほうが問題であって、責任とか権限とかの意味を理解していない日本人がいます。このような体制を、私たちは支援することができます。

6 私たちが貢献できること(6)

私は、中国での仕事が終わって、北京から日本へ飛ぶため、北京空港へ行きます。搭乗手続きを済ませたあと、スターバックスでコーヒーを飲みます。中国においしいコーヒーがないため、です。

日本のスターバックスでこんな経験をしました。自分のコーヒー・カップを持っていくと、20円、値段を割り引いてくれます。あるとき、スターバックスで本を読みながら、コーヒーを飲みました。本を読むことに疲れたので、帰ろうとたちあがりました。そのとき、スターバックスの女性店員が、私の横へ来て、「洗いましょうか」と声を掛けてくれました。私、一瞬、女性店員が何を言っているのか理解できなかったのでが、次の瞬間、「お願いします」と答え、私のコーヒー・カップをわたしました。その日、一日、幸せな気分でした。

北京空港のスターバックスの店員は無愛想です。店員は、事務的に、お金を受け取り、客に黒い液体を差し出します。北京空港だけでなく多くの中国のお店の接客は無愛想です。この「おもてなし」は、教育が必要ですが、それは私たちに貢献できると思います。


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