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経営はゲームである


経営はゲームである

はじめに(1)

2015年1月、マスコミは日本マクドナルドの商品に異物が入っていたことを報道した。前年から、複数のお店で、異物混入があったにもかかわらずマスコミに知らせていなかった(「公表しなかった」と表現した)という。

私はしばしばマクドナルドへ行く。コーヒーを飲みあるいは昼食をとる。ある店員と次の会話をした。
   店員:お騒がせして申し訳ありません
   左近:何か、たいへん、ですか?
   店員:いえ。私たちは何も
   左近:そうですか
   店員:私たちは私たちの仕事をするだけです
   左近:そうですね。それがこの問題を乗り越える最善の貢献です
   店員:はい

マスコミにたたかれていると思ってみると、店舗のまえにある駐車場の自動車の数がいくらか少ないし、店内は空席が目につく。

はじめに(2)

企業のなかで何が行われているか、一般に知られていない。お店に頻繁に来店するおじさん・おばさんにとって、あるいは若者にとって、子供にとって、店内は見知ったものであるがその企業内部はブラック・ボックスである。人は知られていないことにたいし「怖い」と思う。何らかの問題が起きると、それを過敏に受け止める。

第1回目に書いた日本マクドナルドの事例で話す。
手袋の切れ端や器具の破片が混入したという問題が取り上げられている。子供が口を切ったとも聞く。これは確かに問題だ。しかし例えば同様のことが家庭内で起きればどうだろうか?
古い話になるが、私は福井で過ごした。農家であった。祖母は、秋になると、米を背負って山をこえ魚と物々交換していた。我が家はその魚をさばいて食べる。素人(父)がさばくので魚に小骨が残る。大人は上手に口の中で仕分けして小骨を吐き出し、身の部分を飲み込む。しかし子供の私はのどに小骨がささる。目から涙をだし「痛い」と大声で泣く。祖母は「ごはんをかまないでゴクっと飲みこみなさい」と教えてくれた。
一連のプロセスに疑問の余地がない。小骨がのどにささるのは子供の私が悪いのである。

しかし、日本マクドナルドの事件はこんなふうにいかない。NHKを含むマスコミが全国に報道する問題になる。客の一部に「いままでマクドナルドへ通ったけど控えよう」と思わせる事態になる。人命につながる問題ではない。しかし企業の内部で処理されていることと「自分」との関係がわからないから、怖いのである。

はじめに(3)

このブログで「経営はゲームである」ことを、雑談的に、書こうと思う。

私は、中小企業診断士の試験勉強をする前、経営者とは「脂ぎった顔でひらすら部下をどなっている。論理の通じない人である」と思っていた。これは全くの誤解であった。経営の本は胸がわくわくした。その延長線上で、昨今の中小企業の事業継承が少ないことをにらみ、「そんなに難しくない」ことをブログで書きたいと思う。

まず、「わかる」ってどういうことか、私の思いを語りたい。
ちょっと小難しいことを言うと、私がわかるとは、相手の心と何か通じることがあることだと思う。例として欧米と日本との経営の本の比較をする。
私には欧米の経営の本が難しい。例えば、私はドラッカー「マネジメント」は、今でもわからない。翻訳の問題でない。ドラッカーの育った環境と私のそれとは異なる文化である。そもそも文化の異なる土台で書かれているのでなじめないのである。ドラッカー「マネジメント」を語る日本人は欧米と日本の文化の違いを乗り越え、そのうえで受け止めているのであろう。残念ながら、私はいまでも乗り越えることができない。

日本人の書いた本はわかりやすい。私は相馬愛蔵「一商人として」を読み、それまでの「経営者は脂ぎった、論理の通じない人」という考えが一変した。ここに書かれていることの一つ一つが、論理的であり、腑に落ちる。ちなみに、相馬愛蔵(1870-1954)とは、東京に新宿中村屋という菓子店があるのだが、その実質的創業者である。

はじめに(4)

もうひとつ「経営はゲームである」の前提を書きたい。それは「お金持ちになる」ことの重要性である。

人はある程度豊かになったうえで幸せになると思う。
今の日本であれば住まいをもち、普通の食べ物を得て、映画を見る程度の娯楽を楽しむことのできるお金が必要である。人はそのお金があってこそ幸せになる。持家に住んでいるか家賃を支払う家に住んでいるか、子供のうち最も小さな子供は何歳かなどによって大きく変わるが、関東圏では毎月20万円~35万円ほどの収入が必要である。
逆にいうと、路上生活者と言われる人がいるが、路上生活者は豊かとはいえないため幸せになることは難しい。路上生活者は、自らが努力する機会より、自分の境遇の悪さのほうが先に口をでる。社会の不平が会話の前面にでるひとと話すことは、多くの人は、しんどいのではないだろうか。会話を打ち切りたくなる。残念ながらこのような路上生活者に「福」が来る可能性は低い。

私は「貧困=不幸」と軽々しくいうつもりはない。私自身、貧困な家庭に育ったし、大学だって新聞配達をしながら通った。自分が不幸であると思ったことは一度もない。私の経験からも「貧困=不幸」というものではない。
しかし、私は知人に「ある程度の豊かさが必要だ」と説く。そして、私の知っている範囲で「どうしたら豊かになることができるか」を教える。特に、経営者とか、経営コンサルタントなど人を動かす立場の人にはある程度の豊かさを勧める。

自分って何か(1)

多くの人は人生のなかの40歳前後で転機を迎える。組織を受け入れる人もいるし、組織からスピン・アウトして事業を始める人もいる。

組織を受け入れる人は、40歳前後において、自分と組織との融合を果たす。それまでは9:00から17:00までの勤務時間に行うことが仕事だと思っている。やがて、目の前の業務を追究することが仕事だと思うようになる。朝早く出勤することもある。休日(出社して、または自宅で)仕事をすることもある。仕事とは結局人間関係だということがわかる。

スピン・アウトする人は40歳前後で組織を離脱する。45歳を超えるともう離脱できない。そのまま定年(60歳または65歳)まで組織にとどまる。

自分って何か(2)

一部の人は「自分は何に向いているか」わからないまま人生をすごす。現在の仕事が天職だと思わないが、何をしたらいいかわからない。心の底で「何をしたらいいのかアドバイスが欲しい」と思い悩む。しかし、誰もアドバイスをくれない。
それはそうである。日本のように自由が充満している国において、他人の人生に影響を与えることはだれもが避けたい。「自分で考えろよ」と言う。

そうなのだ。自分で考えなければいけない。いつの日か、あなたの心の中に「これをやりたい」と思うことが生じるであろう。その日まで、自分を信頼して待つしかない。

一つだけ、アドバイスができる。
カッコ良いこと、お金の儲かること、有名になることを選んではいけない。これらの雑念を払えばあなたの心は何かを感じるはずだ。自分が何をやりたいのか、どんな人間になりたいのか、を。

自分って何か(3)

このブログは経営がテーマである。すなわち、経営者についてお話ししたい。しかし、私は組織のなかで働くことを軽視するものではない。
事例を述べる。
信託銀行に勤める人と話す機会があった。その人は、若いころ、大蔵省(現在の財務省)と折衝しながら新しい金融商品を作った。彼は「銀行は楽しいですよ」と言った。彼の顔は生き生きしていた。その話しっぷり、顔の表情を見て「そうだろう」と思った。彼の作った商品はいまでも重要な金融商品である。それによって多くの人が「得」をしている。

テーマに入る。自分=経営者を語りたい。
経営者は最初から経営者ではない。学生を経験し、企業勤務を経て、自分で起業するか、親または誰からか承継する。経営者になる前、またはなった後、「これこれをしよう」とか、「こうなりたい」とか、そんな夢、野望、欲求を持つにいたる。夢、野望、欲求をもたない経営者はいない。

自分って何か(4)

前回「すべての経営者は夢、野望、欲求を持つ」と言った。しかし、実はそうでもない。

私の経験した二つの事例を述べる。
まず、中小企業Aの社長である。親から従業員規模18名の会社を承継した。彼は「私はガツガツ仕事をしたくない。従業員が生活していければいい」と私に言った。その話を聞き、「あ。この会社は衰退する」と直感した。実際、従業員5名程度に縮小した。

もうひとつ。別の事例である。政府は開業率を高めるため起業するものに各種補助をする。それを目当てに(としか思えない人が)起業する。たいてい2年または3年すると顔を見なくなる。

自分って何か(5)

一般に、経営者は夢、野望、欲求を持つ。お金持ちになりたい、美人と結婚したい、大きな家に住みたいなどかもしれない。ある種の障害者を救いたい、都会の人に安く野菜を供給したい、高齢者に娯楽を届けたいなどの人もいる。

自分って何かといえば私は夢、野望、欲求であると思う。悩みであり、いとおしむ気持ちが自分であると思う。具体的にいえば、○○会社に入りたいとか、課長になりたいとか、この事業を成功させたいとか思う、それが自分であると思う。

経営者になると(または経営者になるにあたり)その領域がはっきりする。すべての経営者は成功したいと思う。物質的・金銭的に豊かになろうと思っている。豊かさをとおして幸せになる道を模索する。

客って何か(1)

客は「得したい」と思っている。私が目撃したこと(事例)を述べる。

私の地元・埼玉県の大きな道路脇にマクドナルドがある。トラックの運転手(45歳くらい)が入ってきた。カウンターに進み店員と次の会話をした。
   運転:これとこれ、それからコーヒー
   店員:お持ち帰りですか、店内でお召し上がりですか?
   運転:お持ち帰り。これで(と言って、無料引換券を出す)
   店員:あ。これは当店では使えないです。関西のほうのお店だけです。
   運転:え。ダメなの
   店員:申し訳ありません
   運転:それじゃ、コーヒーだけ
マクドナルドの横にファミリーマートがある。運転手はマクドナルドを出てファミリーマートへ入った。そこで食品を買い、マクドナルドへ戻りカウンターにあるコーヒーを持ってトラックに乗り込んだ。

客って何か(2)

前回の運転手の話を続ける。

彼は長距離のトラック運転手である。いったん自宅を出たあと、(埼玉と関西を経由することから推定すると)少なくとも3日は自分で食べ物を調達する。そのなかの一回の食事がマクドナルドである。彼のベスト・ミックスは次のとおりであった。
   第一段階:
    無料券を使ってマクドナルドでハンバーガーを買う。
    コーヒーは料金を支払って買う。
   第二段階:
    ファミリーマートで食品を買う。
    いったん注文したのでコーヒーをマクドナルドで買う。

彼は「損」をしたくない。「得」をしたい。彼の「得」は上記第一段階である。しかるにそれがかなわなかった。そこで第二段階の選択をした。彼にとって「次善の策」であった。「損」であっただろうか。たぶん「得」と「損」の中間であっただろう。

客って何か(3)

前回の運転手はマクドナルドもファミリーマートも知り尽くしているのであろう。彼は両店を比較し、味、ボリューム、価格などを基準にしてベスト・ミックスを作った。

マクドナルドで販売されている食品とファミリーマートに並べられている食品を、トラック運転手の立場になって、比較してみよう。
彼にとって味、ボリュームの違いより価格の違いのほうが重要だった・・・ 私はマクドナルドの食品を低く評価するものではないが、トラックの運転手が「是が非でも買いたい」と思うほどの優位性はなかった。だから割引券が使えないことを知ったとたん「全額を負担するのだったら隣のファミリーマートの食品を買う」と気持ちを切り替えた。

だがいつも価格が優位性をもつわけではない。以下は私の経験である。
かつて関東・関西を含む複数の事業所を有する中規模の会社が、在庫管理をテーマとしてコンサルタントを求めていた。候補に弊社(私)と著名コンサルタント会社一社が出たが、結果は著名コンサルタント会社に決まった。

客って何か(4)

私がプレゼンを終えて部屋を出たとき、著名コンサルタント会社の担当者をちらっと見た。30歳代の若い男性であった。

テーマ・在庫管理は経験の必要な分野である。中小企業診断士の試験勉強テキストには期日を基準に在庫を保つ方法と数量を基準にする方法が紹介され、それら数式をもとに解説されているが、あれはたぶん、実際に在庫管理をしたことのない人が書いていると思う。私は正直言って、次のように思った。「私には経験がある。若いライバルに務まるテーマではない。若いコンサルにやらせるより、私するほうが成果はあがる」と。

結果は、前回書いたように著名コンサルタント会社に決まった。
あれから20年がたつ。今は冷静に振り返ることができる。クライアントは「信用」を第一優先順位に置いて選択したのであろう。経験とか、価格ではなかった。弊社(私)と著名コンサルタント会社とを比較すると弊社(私)はリスクが高い。それは避けたかった。クライアントの「得」を構成するベスト・ミックスには低リスクが含まれていた。

客って何か(5)

経営学の本には「ターゲット客を絞り込め」と書かれている。私も経営コンサルタントとしてそのように言う。
それって狭いセグメントであれば詳細に客を知ることができるからであろう。熟知した客に最適な「得」を届けることができるからであろう。

これまでに述べた例を踏まえて言う。
長距離トラック運転手を知る必要があった。彼の年齢、収入、家族、趣味などを知る必要がある。それはタクシー運転手とは違うし、短距離トラック運転手とも違うし、宅配便の運転手とも違うのだろう。
中堅製造会社の社長にとっての「得」は大企業のそれとは違うであろう。小規模事業者のそれとも違う。製造会社は小売業とは違うし、運送会社とは違うのであろう。

会社を終う(1)

これまで「自分」「相手」を話した。この準備を終え今回から本論に入る。まず「会社を終(しま)う」である。

会社を終う手続きは理論上いくつかに分類できる。私の知る範囲では破産申請による場合が多い。破産ののち二度と事業を再開することはない。新聞や書籍にはさまざまのことが書かれている。「一度失敗してもやり直してほしい」とも書かれている。私もそのように思う。しかし、再開の場に遭遇した経験がない。

小規模事業者においてゲーム「会社を終う」は社長の心の中で行う。社長Aと社長B(社長Aと社長Bは同一人物)のあいだで行う。中堅企業におけるプロセスは経験していないが、たぶん、以下に説明するゲームと同じではないだろうか・・・。
    社長A:まだやれると考える自分(アクセル役)
    社長B:やめようと考える自分(ブレーキ役)

会社を終う(2)

全体を鳥瞰する。
2014年度中小企業白書によると中小企業の数は次のように減っている。
    2001年  469万社
    2012年  385万社
上記の数は開業数から廃業数を引いたものである。2012年と2001年のあいだを単純に引き算(2012-2001)すると11になるので11年間と数える。下記の減少になる。
    年間減少数
     (469万社-385万社)÷11年
     =毎年7.6万社
    年間減少率
     =毎年7.6万社÷469万社
     =毎年1.6%

会社を終う(3)

ちょっと余計なことを話す。
私は中小企業の廃業が増えていくことをビジネスチャンスだと思った。2013年のことである。廃業する社長を対象にセミナー「上手な廃業の方法」を開き、廃業した後の社長を定期的に懇談会にまねき希望者に経営指導の仕事を紹介するビジネスを考えた。ある方に講師を依頼し、ホームページを開設し、ダイレクト・メールを送信した。しかしさっぱり人が集まらなかった。失敗であった。

前回計算したように毎年7.6万社が少なくなる(=それ以上の廃業がある)のだから「10人や20人は来るだろう」と予想し、合計3回のセミナーを開催したが、さっぱりだった。講師を依頼した方、企画にさそった方に頭をさげ、ホームページをしめた。
逆に、ダイレクト・メールを送った会社から「○○業で廃業する会社があったら買いたい。連絡をほしい」という電話を受けた。そのような紹介もできなかった。

私のビジネスモデルは客にとっての「得」ではなかった。何が悪かったのか・・・?

会社を終う(4)

私の試みを話した。どのようにしたら廃業をゲームとして考えることが可能になるのか?
私は次のように思う。
社長は判断基準をもつ必要がある、と。社長には経営をはじめるとき(または社長に就任するとき)終うための判断基準を勧める。廃業のための判断基準をもって経営することによって経営はゲームになる。

喩え話をする。
一匹のカエルがぬるま湯につかっていた。すこしずつ湯の温度が上がっていく。カエルは「あ。湯の温度があがる。これはダメだ。なんとかしなければいけない」と思う。カエルは自分の過去の成功事例のなかに解決策を探す。そのうち湯の温度はカエルの体にダメージを与えるほどに上昇する。神経が麻痺し筋肉がただれる。カエルは湯のなかで死ぬ。
カエルはもっと早く湯から脱却するべきであった。カエルは「自分は41度までは大丈夫。しかし42度になったら出よう」という判断基準を持つべきであった。

会社を終う(5)

会社は簡単に倒産(破産など「終う」を総称する用語)することはない。売上高―費用=利益である。売上高が減れば費用を下げれば良い。ほどほどの設備投資をし、ほどほどの従業員を採用し、慎重に新規顧客を開拓していけばいい。

実は、多くの社長は「今は悪いけど、いつか回復する」とタカをくくっているか、または「違う分野へ行く必要を感じるがその『脚力』がない」ために湯のなかで死ぬ。このような状況に対応するために判断基準が必要である。昔の人は出処進退という言葉で表した。晩節を汚すなとも言った。

社長は経営状況の良いとき外部の人間に相談する。しかし状況が悪くなると社長は外部の人に相談しない。朝、目が覚め、布団から出る前、「どうするか」考える。ずっと考える。夜、布団に入っても考える。一睡もできない夜もある。他人に相談することはしない。
   「そのうち景気が良くなる。顧客Hから注文が来る。ネットを介した注文は堅調だ。・・・」
   「景気が良くなっても注文は増えない。ネット注文は微々たる額だ。・・・」
憔悴の中でこういった心が、行ったり来たりする。

会社を終う(6)

破産を含め倒産は多くの社長が思うほど悲惨ではない。この分野は法律家(弁護士・司法書士)、税理士、経営コンサルタント(中小企業診断士)が協力して、または入り乱れて進める領域である。ここでは経営コンサルタント(中小企業診断士)としての私が接した事例を述べる。

まず企業概要を述べる。
    企業  開発型生産会社
    規模  従業員35名
    所在  東海地方
倒産する前からのお付き合いであった。会社が倒産したことを聞き、私は思い切って「お会いしたい」と申し入れた。新幹線に乗って名古屋へ行き名古屋駅前の喫茶店で会った。元社長は次のように話した。
   元社長の発言:
     いま振り返るとあっけないほど簡単に終わった。
     お金でつながっていた人とは縁がなくなった。しかし、お金でない部分で
     付き合っていた人とは何の変化もなく付き合っている。

社長がみずからに廃業の判断基準を課すことによって廃業はゲームになる。

ルールをつくる(1)

経営はゲームである。ゲームとは別の言葉でいえば遊びである。遊びにはルールが必要である。

遊びには魚釣りとか山菜採りなどがある。トランプとかサッカーとかがある。川へいって魚釣りするにはルールがある。野に出て山菜を採るにもルールがある。しかし、経営はゲームであるという場合、こちらの遊びを思い浮かべるより、トランプとかサッカーとかのほうがイメージはつかみやすい。

遊びを始めるにも、続けるにも、やめるにもルールに従う。ルールのなかで遊び(=経営)をする。ルールには会社法をはじめとする法規範がある。このブログで法規制は語らない。会社内部のことに限定する。そのように限定すると経営者はルールを作る側に立つことになる。ルールを作る。ルールに経営者自身が従うとともに管理者・従業員に従わせる。これは楽しい。

ルールをつくる(2)

多くの人はルールに違和感を持っている。
例えば、道路を渡る場合、信号に従わなければいけない。青色は進め、赤色は止まれのルールである。機械(自動車)と人間がおなじ平面を移動するのでやむをえないのだがやはり抵抗がある。電車のなかで携帯電話を使用することはルール違反である(実際、電波に弱い人、例えば心臓にペースメーカーを埋め込んで生きている人が近くにいる可能性がある)。これも他人が携帯電話を使っていると腹が立つが、自分も使わざるをえいない局面がある。腹立たしい。

会社のルールについてまず私の経験を述べたい。
私は大学を卒業したあと、ちょっと無為の期間を過ごし、1973年(昭和48年)5月、中小製造会社へ就職した。途中入社であったが、4月入社の人たちの同期会に入れていただいた。従業員のモチベーションは高かった。経営成績はどんどん上がり、やがて株式を上場するようになる。発展のプロセスにおいて、「仕組みをつくる」ことが必要になった。

ルールをつくる(3)

前回のつづきを述べる。

仕組みとはルールの集合体である。システムというほうがわかりやすいか・・・。私は次のように思った。会社のなかに仕組み(=ルール)を作ったところで、社長・管理者・従業員が守らない限り何の役にも立たないのではないか、と。

どうしてこんなことを思うようになったか背景を述べる。私は工場に配属された。会社は受注生産方式である。顧客の注文をとった営業員から生産指示が工場に出る。営業部門の言うことは絶対的であった。生産部門の都合など考慮されなかった。例えば、材料入荷遅れなどによって納期を守ることができない事態があっても、何が何でも納期を守らなければならなかった。営業部門へ「一日遅らせてほしい」とは言えなかった(言ったとしても「ダメ」という回答であった)。事実、営業の責任者は「営業が注文をとるから工場がある」と私に言った。私には仕組みに意味があるのか疑問であった。

上の文章を書きながら、今、「当時の自分の理解は間違っていた」と思う。でも当時は上記のように思った。屁理屈を言うと、間違ったスタートであっても思考と行動を繰返すことによって正しい結果にたどりつくことは可能である。

ルールをつくる(4)

生産部門と営業部門との力関係だけでなく、会社の運営そのものが何人かの管理者の発言で決まることもあった。私には管理者間に力関係があるように見えた。例えば、機械を工場に導入する場合、営業部門の後押しを得たA氏が社長にいうとスムーズに実現するが、別のB氏が提案してもダメ、というようなことであった。仕組み(=ルール)など何の意味もないように思った。

私は、雰囲気として、または一般論として力関係を見るだけでなく、直接的に向き合う立場に立った。「仕組みに何の意味があるのか」悩む立場に立った。すなわち、全社的品質管理(TQC。総合的品質管理ともいう)を検討するポジションにいた。TQCとは会社のなかの各部門がそれぞれの役割として品質を管理する仕組みである。営業部門の品質管理があり、生産部門の品質管理があるのである。社長・管理者・従業員がそれぞれの立場で仕組みを守ってこそ効果を発揮する。逆にいえば、誰か一人が無視すれば瓦解する。
結果的にTQCの導入は会社内部のパワーバランスで退けられた(提案する前につぶれた)。私は挫折した。しかし、仕組みの有効性に疑問を持ち悩んだことは、今日、経営コンサルタントとしての仕事をするうえで役に立っている。

ルールをつくる(5)

前回の力関係とルールの話を拡散する。

仕組み(=ルール)は、最終的には、社長の態度如何である。社長の識見によって業務進捗のスムーズさ(=ルールの順守)は異なる。
とはいえ、すべてを社長の責任にするのはマチガイだ。管理者にも、従業員にも守るべき規範がある。会社には文書化されたルールもあるが、暗黙のルールだってある。暗黙のルールとは職業人としての「常識」である。それを土台にして会社は成り立つ。

例をあげる。
朝、「おはようございます」「おはよう」とあいさつすることは常識である。それが出来ない従業員では、一日のコミュニケーションに影響し、職場の効率が落ちることも懸念される。このような常識のある従業員の多い会社と常識のない従業員が目立つ会社とでは「仕組み」の構築の度合いが違う。結果的に効率が違う。

ルールをつくる(6)

私は品質管理課に所属した。品質管理課とは、他の会社でいうと技術課とか、営業技術課とか、そんな仕事もしている部門であった。なにせ、中小企業だから・・・。

私の上司(および私の後輩)は新製品を開発していた。新製品を開発する担当になると「技術者バカ」であった。ひたすら性能の向上をめざした。営業的にみて売れるレベルであるだけでは納得しない。性能だけでなく、品質のバラツキ、メンテナンス容易性、部品・材料の仕入れの安定性などすべての領域が完璧でないと納得できない。完璧を期すには莫大なお金と無限の時間がかかる。会社は「売れる程度の性能」を求めているが、「技術者バカ」にそれは見えないのだ。

上司は会議の席で「まだ発売できない」と言う。技術的に完成していないと言うのだ。延々と時間が経過する。ある会議で、私は「○○さん、それは量産をして究める問題ではないですか?」と反論した。課長も「そうだ、そうだ」と言った。

人間としては気分の良い人たちであった。こんなことがあった。朝、上司は出勤してこない。上司の上司(課長)がアパートへ迎えに行く。そっとドアをノックする。声がない。さらにノックを続ける。やがて「はい。あ、すみません」と返事がある。課長は「あ。生きていた」と安心して会社へもどる。そのあと30分ほどして、上司(係長)は、照れた様子で、申し訳ない様子で、出勤する。私たちは下を向いて笑っていた。

私たちの会社に設計開発のプロセスを進捗するためのルールがあったらよかったのだ。例えば、試作品が出来た時点で、どのような試験が必要であって、その結果はどうでなければ次のプロセスに進むことはできない(逆にいうと、あるパフォーマンスをクリアした場合、次のプロセスに進む)ということである。

ルールをつくる(7)

ここまで会社内の力関係とか、新製品開発とか、脈略なく話した。話を収束しよう。

ルールがあれば、業務をゲームとして扱うことが可能になる。誰もがゲームに参加できるし、どんな要件をクリアすれば次のステップに進むことができ逆に要件を満たしていないため打ち切りになる。これは大きい。

会社にルールを敷くのは欧米人が得意であるように見える。私の経験を述べる。
私は、1989年ころであっただろうか、ISO9000の審査員になるための研修を受けた。審査員になることが目的ではなかった。ISO9000のコンサルをしたいと思った。講師は二人のイギリス人であった。受講者は20名に満たなかった。
私の横に座った人が「イギリスでは多くの企業がISO9000をとっている。日本では始まったばかりなのでまだない。しかし、イギリスと日本と比べてイギリスの製品のほうが品質が良いという話は聞かない。これはどうしてか?」と質問した。

ルールをつくる(8)

講師は次のように答えた。
たしかに日本製品は品質がいい。しかし、イギリスの会社はISO9000というシステムが会社内に構築されているので、その内容を見れば「あ。この程度の品質の製品ができる」と安心することができる。しかし、日本の会社にはシステムがない。今は高い品質の製品ができるがいつ何時どうなるかわからない。信頼感がない。

その回答を聞いて、私は「なるほど」と思った。しかし、今考えると上記回答はマチガイである。講師のいうほど簡単にイギリス製品の品質は上がらなかった。日本の品質が落ちることもなかった。日本製品は今でも抜群の品質レベルを保っている。世界の多くの人は英国製より日本製に高い信頼感を持つ。

講師の回答にも若干の理がある。
実際にISO9000の導入をコンサルしてみると、経営者は「ルールが出来た。これは若い人から好評だ。ルールがあるから『働きやすい』という」と言う。ルールがあることによって今までお荷物的存在であった若い人が積極的に仕事に参加するのである。

ルールをつくる(9)

前回のISO9000コンサルの例は経営そのものではない。読者から「違う」と言われるかもしれない。しかし、見当違いの事例ではないと思う。すなわち、ルールの持つ意味は尽くしている。

経営そのものにルールがあってそれに沿ってやればやりやすい。ルールをいくつかの階層として理解するのがいい。
    第一層  社訓・社是
    第二層  規程(または規定)
    第三層  マニュアル

経営はゲームであるというとき想定するルールは上記の全体であるが、特に、社訓・社是が関係する。老舗会社が強いのは、単に長い歴史を持つからではなく、長い歴史に耐えた社訓・社是があるからである。多くの場合「目の前のお客さんが第一」とか「和を尊ぶ」などである。


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